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弦楽四重奏曲 (矢代秋雄) : ウィキペディア日本語版
弦楽四重奏曲 (矢代秋雄)[げんがくよんじゅうそうきょく]

弦楽四重奏曲:Quatuor)は、日本作曲家矢代秋雄が作曲した弦楽四重奏曲
1957年、毎日音楽賞受賞作品。
== 作曲の経緯 ==
矢代が、5年にわたるパリ留学中に唯一完成させた作品〔矢代秋雄『弦楽四重奏曲』スコアにおける作曲者本人のコメントより。〕であり、パリ国立高等音楽・舞踊学校(以下、CNSMDPと記す)卒業作品として、1954年夏に第1楽章、第2楽章が、1955年初頭に第3楽章、第4楽章が作曲された〔同上。〕。作曲者自身は、この作品について「フランス・アカデミックなものはつとめて避け、むしろ、バルトークヒンデミット、さらにプロコフィエフなどに影響されたと自分で思っている」と述べている〔同上。〕。1955年に、CNSMDPの試験において演奏されたが、その評価は芳しくなく、最低の褒状さえ貰えないというものであったという〔矢代秋雄『交響曲』フルスコアにおける、沼野雄司による解説より。〕。
この作品の評価がCNSMDPにおいて非常に低かった原因として、当時、マルセル・デュプレが院長を務めていたCNSMDPでは、「19世紀的な伝統を、試験においては重んじる」方針をとっていたためであると言われている〔同上。〕。この結果は矢代を大いに失望させたが、審査員の中の二人、アンリ・バローフローラン・シュミットはこの曲を高く評価し、バローの推薦で、この作品はパレナン四重奏団の演奏により、ラジオ・フランスから放送初演された。
矢代の帰国後、パレナン四重奏団、ラモー四重奏団、アカデミー四重奏団、プロムジカ四重奏団、N響四重奏団などにより演奏され、ロンドンでは、マクジボン四重奏団の演奏でBBCから放送された〔矢代秋雄『弦楽四重奏曲』スコアにおける作曲者本人のコメントより。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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